テーマ:歴史

戊辰戦争と秋田

 戊辰戦争は皆さんご存知の通り、 明治維新の薩長連合軍と旧幕府軍との戦いで、 鳥羽伏見の戦いで、旧幕府軍は敗れ終結となりました。 と、思っている人は多いはず。 実はまだまだ戦争は続いていくのです。 新政府軍は東北に逃げ帰った、会津・庄内の2藩を討伐するために 「奥羽鎮撫使」を結成、東北…
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わすれないで

今日は何の日か覚えていますか? 昭和58年5月26日。 この日、日本海中部地震があったのです。 午前11時59分57秒、 秋田県能代市西方沖約100キロメートルで発生した マグニチュード7.7、震度(当時)5の強震。 私はこの日この時、会社で事務仕事を一段落。 さて、お昼ご飯にしましょうかと立ち上が…
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天徳寺

秋田市内で歴史も格式も一番高いお寺が 天徳寺というお寺です。 このお寺は境内全体が、県史跡に指定されています。 天徳寺の開創は1462年、 常陸太田(現 茨城県)に佐竹十四代義人(よしと)が 夫人源姫(天徳寺殿)の菩提のために建立しました。 佐竹氏の菩提寺となったのは1510年頃のお話です。 1602年…
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奥州の覇者 その四

出羽山北(でわせんぼく)の地 横手盆地は戦乱の巷と化し、 金沢柵の辺りは修羅場となってしまいました。 しかし、金沢柵はすこぶる堅固で、 容易には攻め落とせませんでした。 義家は、陣内に将兵を奮い立たさせるための 剛憶の座(ごうおくのざ)を設けました。 剛憶の座 剛の座と憶の座の二つの席を設けて …
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奥州の覇者 その三

登場人物の、名前が似通っていますし 血縁関係など複雑になっていますので ここに、相関図を差し込みます。           ※図をクリックすると大きく読みやすくなります。 この相関図で、昨日までのお話を再度確認していただければ このお話が、もっと良くわかっていただけると思います。 では…
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奥州の覇者 その二

 前九年の役の功績が認められ、清原武則は、 1063年に従五位下鎮守府将軍に任命されました。 出羽の旧領に加え、安倍氏の領地であった陸奥六郡をあわせ 奥州の総大将となったのです。 いわば、清原一門が東北地方全部を握ったことになります。 当時の武家社会は、まだ一国一領主の時代ではなく、 一門同属支配の体制でした。 …
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奥州の覇者 その一

去年の大河ドラマは、滝澤義経ブームで、 ご覧になられた方もたくさんおられると思います。 実際の義経が、あれほどの美男子であったかは、 大いに疑問の残るところではあります。 さて、なぜ義経は、奥州藤原を訪れたのでしょうか? また、それまでは一役人の家系であった藤原氏が、 なぜあれほどの大規模な都を築けたので…
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