千古の歴史を刻む道 その4(最終回)

地図に無い、
古代の道を歩いてきました。

しかし、最終目的地だけは現在その姿を見ることが出来ません。
胆沢町下嵐江(オロセ)は、石淵ダム建設で消えてしまいました。

藩政時代は仙北街道の要衝として栄え、
番所や荷問屋、馬宿などがあったとされています。
一時、奥の谷で金が採れ、千軒を数える人夫小屋と
遊郭まで出来て、その賑わいは凄いものがあったそうです。

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オロセは江戸時代のキリシタン迫害の歴史にも登場しています。
1623年、ポルトガル人ガルバリヨ神父が秋田に逃げる途中、
ここオロセで捕まり、
仙台の広瀬川で処刑されています。

仙北街道は、文化、経済、産業の道としてはもちろん、
仏教やキリスト教の伝導、神道、修験道などの布教の道としても
重要な役割を果たしてきました。


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小出川を渡り終えると、残りは僅かです。

ツナギ沢というところにたどり着くと
合流点に「仙北街道ツナギ沢」の標柱が見えます。

ここから、ツナギ沢を離れて小沢沿いに登り、
急な「マタギ坂」を越えると穏やかな稜線に出ます。

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大胡桃山麓では道は2つに分かれます。
大胡桃山(934m)に登るルートと迂回するルートです。
写真は二手に分かれる古道付近からの遠望です。
遠くに残雪が残る山並みが焼石連峰。
手前の谷が胆沢川支流、小出川の原生林です。
このあたりの流域一帯は、
太古のままの原始林が広がっています。
後三年の役に遠征に出陣した源八幡太郎義家や藤原清衡も
同じ風景を目にしたに違いありません。


ここを過ぎると、急な下り道が続きます。
ブナ林の中を進めば、
現在の終点地、胆沢町大寒沢林道へと辿り着きます。

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岩手県胆沢町と秋田県東成瀬村は、
毎年仙北街道の笹や藪を刈り払い、
相互に往来し、長い歴史を刻む古道を通して交流を深めています。
今後は、お助け小屋の発掘復元、
マタギや旅人が利用した岩洞窟の存在など、
新たな歴史の発見に挑んで欲しいものです。


「難コースだが、
消えた道にロマンを感じるんです。

いずれ地図にも復活させたい」
(仙北街道を考える会)






長いシリーズになってしまいました。
最初から読んでいただいてありがとうございました。


まだまだ未開の古道です。
新しい発見などありましたら、
いつの日かまたご紹介させていただきます。



難しいテーマで読まれた方もお疲れになったことでしょう。
きっとアクセスもコメントも少なくなると覚悟して記事にしました。
古い道を知ることは大切なことで
秋田の歴史はこの道から創られてきました。
秋田を語る上で是非自分でも調べておきたかったテーマでした。

4日間、お付き合いいただいて光栄です。





んだば







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この記事へのコメント

2007年07月15日 13:40
 こんにちは☆こねこです♪

 あらら、道を辿るとダムに行き着いてしまうんですか。残念ですね・・・。

 狭い日本ですが、発見されてないところはいくつもあり、身近なところでも新たな発見があるかもしれないですね。

 私にとっては秋田はほとんどしらないところだけに、何か自分が探検でもしてるかのような気持ちで読ませていただきました。

 また何かありましたらよろしくお願いします(ペコ)。
 ねこでした。ニャン☆
2007年07月15日 16:55
 なまはげさん、どうもです (^^)/

 こういう記事が個人的には好きですねぇ (^^)v
 4話とも楽しませていただきました (o^∇^o)ノ

 私のように、机で仕入れた知識に基づいて書いた記事などよりも、こうして自身で体験した記事というのはおもしろさが違いますし、何よりもことばや内容に重みがあります。
 さすがに、私自身がこの道を歩くという事はないでしょうが、仕事で近くを通る事がありましたら、この記事を思い出してみる事にします (^^)v
2007年07月15日 17:50
長編の記事を創作される力量はすごいですね。
相当の歴史書を読んだり単独で研究したものを編集されたのでしょう。
すごいものを読ませていただきました。
これは研究成果の氷山の一角なのでしょう。
こんな研究能力と作文能力は速やかに生かして、出版でもされてはいかがでしょうか?
★なまはげ
2007年07月15日 21:13
☆こねこちゃんへ
 途中まで殆ど文明の力は加わっていないのですが、最後のゴールだけ、今はダムに沈んでしまっています。
 実は私も数ヶ月前まではこの道の存在を知りませんでした。現在の山越えのルートはトンネルや橋が架かり、とても昔の面影あるルートはひとつとしてないのです。不思議に思っていたんですが、ふとしたきっかけでこの街道を知ったのです。まだまだ私の知らないことは多いようです。
★なまはげ
2007年07月15日 21:17
☆夢見るピーターパンさんへ
 いやいや私も殆どの部分は机の上で調べています。それを実際の現場などを思い出しながら書いているので、大したことではないのです。
 私はいつかこの道を歩いて見たいと思っています。
★なまはげ
2007年07月15日 21:21
☆Tatehikoさんへ
 研究などと大それたことなど何もしていません。唯一つのテーマを決めたら、できるかぎり資料集めはします。時には集めた資料の受け売りになってしまうこともあります。
2007年07月16日 19:44
やっと読ませていただきました^m^読み込むまでには至りませんが^^;
古道ってテレビで見ているのがいいかなぁ~なんて思ってるふとどきものです(>_<)アチャ

>できるかぎり資料集めはします
しかしスゴイです!なまはげさんって!!

2007年07月16日 20:41
こんばんは♪
今は人知れず荒れた道も 昔はたくさんの人が行き来していたと想いを馳せていたら 最後にダム・・・と。時と共に変化するのが「道」だと思いますが ちょっと淋しいですね。
★なまはげ
2007年07月16日 21:27
☆moonさんへ
 そう、そのほかのところがぜんぜん昔のまま残っているのに、ゴール地点だけが存在していないのが悔しいです。
★なまはげ
2007年07月16日 21:35
☆秘密主義さんへ
 どんなに奥深い山道でもテレビで見てる分なら疲れませんものね(笑)。でもこの道にテレビクルーが入ったら楽しんで観ることができるでしょうね。
2007年07月17日 00:08
調査隊として、実際に行ってきたの?ですか??
お疲れ様!
★なまはげ
2007年07月17日 14:27
☆猫姫さんへ
 今回の記事の現地調査には残念ながら出かけていません。仙北街道を検索して資料を集め記事にしています。ここを歩くだけで前後も入れると3・4日時間が必要でしょう。
2007年07月17日 21:53
4話完結、ご苦労様でした。
キリシタンの話があったのですね。
伊達藩のキリシタンに向けての風向きが変わった頃ですね。なるほど。無事、秋田に逃れていたらどうなっていたでしょう。
★なまはげ
2007年07月17日 22:15
☆むうさんへ
 無事に秋田藩に入ったとしたら、秋田で布教活動が出来たか、それとも秋田藩に捕まってしまったのか??どちらかというと秋田藩は幕府に従順だったことを考えると、後者だったのではないでしょうか。

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