菅江真澄と秋田

江戸時代の紀行家、菅江真澄(1754~1829年)。
秋田の歴史を語る上で最も功績を残した人物です。

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彼は三河の国渥美郡(現 愛知県豊橋市)に生まれ、
本名を白井英二といいました。
30歳で故郷を旅立ち、
信州・越後を旅し、庄内を経て秋田領雄勝(現 湯沢市周辺)に入りました。
その後、横手・角館・阿仁銀山を廻り、久保田(秋田市)を訪れ、
男鹿を経て津軽に入っていきました。
真澄32歳のことです。


津軽・南部・胆沢を旅し、北海道の松前にたどり着いたのが35歳のとき。
4年をかけて蝦夷地を巡遊し、
南部領下北に渡ったのが39歳。
下北を出て津軽藩に戻り、
津軽領内をくまなく回り数年暮らしました。
日本海沿いに秋田に入ったのは48歳の時でした。
実に17年ぶりの秋田入りでした。


その後の真澄は、
亡くなるまでの28年間を秋田から離れることなく、
藩主佐竹義和公をはじめ、多くの藩士、
神官、農漁民、町民、商人などと多くの人々と交流しました。

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真澄が描いた「男鹿なまはげ行事の様子」

紀行家として有名ですが、
実は本草学(医学)、詩歌、国学などの知識も深く、
旅先で病人を診て薬草を調合したり、
即興で歌を詠んだりと驚異的な多才ぶりを発揮しました。

旅日記「菅江真澄遊覧記」の他、
秋田県内に関する著作は随筆や地誌なども含め200冊以上。
県内各地で描いた図絵も2500枚あります。

各地の食材や料理についての記録も多く、
当時の食文化にも興味津々であったようです。


真澄ほど秋田を歩き、秋田を誌(しる)し、
秋田を愛した人はいません。


真澄の著作は、厳しい自然の中で生きた雪国の
人々の喜びや悲しみを客観的に記述したものとして、
民俗学研究の貴重な資料となっています。


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取材途中の梅沢(現 仙北市田沢湖)で病に倒れ亡くなってしまいました。
友人の秋田の古四王神社(こしおうじんじゃ)の神官に亡骸は引き取られ、
その神社の墓域に墓碑とともに葬られています。






今、秋田県内全域に「菅江真澄の道」と名付けられた標柱があり、
歌碑や記念碑を含めると482箇所にのぼります。
真澄の名前を冠した「研究会」は11もあり、
会員数も650人を越えています。

現代語訳されていない著書も多く、
今後の研究次第ではさらに注目を浴びるはず。

真澄の再評価する気運が秋田県内で盛り上がってきています。
年明け早々には、
著作に登場し、
現在では無くなってしまった幻の納豆「大屋納豆」を復活させる案も浮上。

さらに、真澄が歩いたルートを観光ルートとして作成し、
新たな観光開発に取り組む動きもあります。


2007年は、「菅江真澄」ブームに燃え上がりそうな秋田です。



私も来年は、「菅江真澄」を大いに取り上げていきたいと思っています。







んだば








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この記事へのコメント

2006年12月24日 20:07
 こんばんは☆こねこです♪

 なまはげ伝道士第1弾にふさわしい記事ですね(微笑)。

 ブログという形ではありますが、私みたいに秋田のことがまだ分からない方にも難しい古書を読むより分かりやすい説明なので、来年もどんどん紹介してくださいね(微笑)。

 ねこでした。ニャン☆
閑 客
2006年12月24日 20:48
うっすらと聞いたことがあるなぁと思い,老生も調べてみました。
その中で,百科事典には柳田国男が関心をもったとか,常冠り(じょうかぶり)というあだ名があったとか,そんなことも書かれていました。なまはげさんの詳しい話に触れ,改めて敬服している次第です。
なお,調べると本名の殆どは白井秀雄でしたが(英二は通称とのこと)…。どうなんでしょう。昔の人の名はややこしいですからねぇ。
★なまはげ
2006年12月24日 21:25
☆こねこちゃんへ
 菅江真澄は秋田には欠かせない人物。彼のことを前々から書きたかったのですが、ちょっと難解な部分があって、書くのをためらっていたんです。ここで第一弾が書けましたから、来年は彼に関わることをドンドン取り上げていくつもりです。
★なまはげ
2006年12月24日 21:33
☆閑客さんへ
 「常被り」とは、頭に常に頭巾を被っていましたから(上の絵を参照してください)、そう呼ばれていました。本名は白井英二でしたが、30歳で旅に出るときに「白井秀雄」と改名して、「菅江真澄」とは56歳の時(秋田に永住してから)から使っていた名前です。彼が訪れた各地では「白井秀雄」の名前で旅していますから、「秀雄」の名前の方が有名だったんでしょう。
2006年12月25日 00:21
菅江真澄の句碑、特に男鹿には多いですよね。
木製のあのシンプルなの。
なかなかいい味出してたけど、
学校の教材に利用するとか、もうちょっと積極的にPRしてもいいんじゃないかな、とか思っていました。
★なまはげ
2006年12月25日 08:40
☆むうさんへ
 秋田県内を歩くとあちらこちらで菅江真澄の名前を見かけます。それだけ彼は秋田県内に足跡を残し地域に密着していたんだと改めて感じます。彼の業績は各種の分野にわたり素晴らしいものなんですが、あまりにも広すぎて今まで紹介し切れませんでした。今日のお話は彼の業績の序章という形で書きました。これから徐々に一つ一つを紹介していきたいと思っています。
 やはり男鹿地区が彼の足跡が一番多いようですね。真澄にとっても男鹿はやはり魅力多い土地だったんでしょう。
sasakure
2006年12月25日 10:20
こんにちわ。
大屋納豆って横手市大屋新町地区の納豆?
でしょうか。
私が高校生だった大昔にはまだ売っていました。
★なまはげ
2006年12月25日 11:13
☆sasakureさんへ
 横手の方なんですね、こんにちは。大屋納豆とはご指摘の通り横手市大屋地域で作られていた納豆です。大粒の大豆をひき割りにして藁に包んで雪室で2~3日低温発酵させた納豆です。真澄が著書の中でこの製造方法を記録していたので、今、製造再現に努力しているようです。真澄はその他にも、大屋地区で採れた「大屋梅」を使った料理なども記録しているようです。地元の一時消えてしまったものでも、記録しておくことで復活できてきたら大変に嬉しいことですよね。
2006年12月27日 17:35
 菅江真澄 私が 小さい頃から 何度も 聞かされた名前です(笑)
 父が 郷土史を研究していたので 菅江真澄の関する 書籍は 沢山ありましたw
 が・・・。
 父が亡くなり 多くの本を 処分してしまったので・・・。 ちょっと 後悔しています・・・。 
★なまはげ
2006年12月27日 18:12
☆村長さんへ
 あや~~~!それはそれはもったいないことをしましたね。北秋田地区も真澄が良く歩き記録を多く残した場所です。もしかしたら貴重な学術的資料が混ざっていたかも!!

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