戊辰戦争と秋田 その2

東北の中で唯一新政府側にまわった秋田藩は
孤立無援の戦いを強いられました。

画像


一番最初は、庄内藩からの攻撃でした。

海岸沿いのルートのほかに、
鳥海山越えのルートからも攻められ、
秋田軍は矢島・本荘・亀田の各城が落され、
長浜(現秋田市下浜)まで撤退をしました。

また、南東からは仙台藩に攻められ
湯沢・横手も次々と落城。
玉川(現大仙市神岡)あたりでの必死の防戦をしました。

仙台藩は別働隊を角館に向けました
角館では、佐竹北家が苦戦をしましたが、
その後新政府軍に寝返った新庄藩が応援に駆けつけ
角館の死守に成功しました。


一方、秋田藩北部では大館城が南部藩からの攻撃にあっています。

ちょうどその頃は、庄内藩・仙台藩からの攻撃に対処するので
手一杯の秋田藩からは応援部隊を送ることが出来ずに、
大館城は孤立した中での戦いとなりました。
城代佐竹大和はあらん限りの知恵を絞り
圧倒的多数の南部藩に対して、
少人数で1ヶ月以上の激しい戦いを繰り広げています。

しかし、数の力にはいかんともしがたく、
二ツ井(現能代市)まで撤退。

ここで新政府軍の応援部隊と合流。
それまでの戦局とは一転、
次々と南部藩を打ち破り、ついには大館城を取り戻し、
南部藩を自国へと引き上げさせました。

その後、南部藩が攻め入ってくることはありませんでした。



この頃やっと新政府からの援軍が駆けつけるようになり、
局面は秋田藩が優勢に変わっていきました。



長浜での攻防に敗れた庄内藩は、
自国鶴岡まで退却し、6ヶ月に渡る戦いは終わりました。


仙台藩も秋田勢の勢いが増したのを知り、
急遽、秋田攻めを取りやめました。


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秋田藩の殆どが戦場となって、
田畑も荒らされ、多くの尊い命が散ってしまいました。




この戦争は「単に薩長が遺恨をはらすため」に秋田を利用した
という説もありますが、

現代に繋がる天皇制国家を確立したという意味で

国家的大事件であり、その一部が

秋田においても起きたという事実は忘れてならないことではないでしょうか。




んだば






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この記事へのコメント

2006年05月31日 19:53
なまはげさん。
ご無沙汰しています。
皆さんのコメントも受けることなくブログを閉鎖してしまって。。ごめんなさい。。
やっと落ち着いたのでご挨拶に伺いました。
こちらのブログでは暖かいコメントをほんとうにありがとうございました。
メンタル系のHPですが、気が向いたらのぞいてみてくださいね。
んだば。。(笑)
2006年05月31日 19:58
秋田の地図と睨めっこしながら フーム・・・
そうなんだ~!!と独り言 歴史の勉強です♪
でも こういうご縁が無かったなら 一生知らずに終っていたでしょうね!!

↑kakomama→今は オレンジママさん ファイト☆☆

んだば
無口なモグラ
2006年05月31日 21:08
こんばんは♪
+あいさんと同じく…。地図とニラメッコ。
なまはげさんは守備範囲の広い人ですね。あらゆる面での知識が豊富で、僕にも分りやすい記事にして下さるので、有難いです。大変、勉強になり、喜んでおります。ダラダラと生きている僕には、いい刺激にもなるのです。
んだば
★なまはげ
2006年05月31日 23:50
☆オレンジママさんへ
 実はこっそりとHPを覗いていたんですよ。足跡は残しませんでしたが、娘さんのことが気になっていました。これからも時々お邪魔します。
★なまはげ
2006年05月31日 23:54
☆+あいさんへ
 この戦争のことは、大体のことは知っていたんですが今回の記事にしようと再度調べてみました。そこで新たに判ったことなどもありました。これもブログをやっていたからしりえたことですね。私自身、勉強になっています。
★なまはげ
2006年05月31日 23:59
☆モグラさんへ
 守備範囲が広いなんて恐縮してしまいます。秋田を知らない人にわかり易く説明できれば嬉しいのですが・・・・・。。
2006年06月01日 09:21
 私の実家のある 綴子では 南部軍のものと思われる 首塚があります
 
 さて 南部軍が盛んなころ 阿仁へ攻め入ろうとする 気配があったので 近隣の 阿仁銅山 寺院 マタギまで寄り集まって 軍をしいたようです
 
 地図には ありませんが 実は 米内沢で 小競り合いがあったのです 南部の ごく一部の者が どうやら 勝手に 米内沢へやってきて 南部の勢いを豪語したらしいのですね 当然のように 秋田勢に うたれ 晒し首にされたそうです



一、南部トノサマ デンガク豆腐好きてサ
  ろくたにあぶれねやに コラサノサ
  味噌つけたサアノサ
二、南部花輪の徳太郎さんに
  三次朗さん石坂合戦で コラサノサ
  首コもがれサアノサ


 
  
2006年06月01日 15:22
先日「オトコタチノ狂」と言う、とんでもない映画を見ました。幕末の重要人物が現代にタイムスリップするというもので、その重要人物達は、現代の日の本を嘆いていました。
このころはお互いに、心から、この日の本の未来のためを思って戦ったんでしょうね。
現代人として、考えるところは、多くありました。
★なまはげ
2006年06月01日 19:33
☆おっち村長さんへ
 ヘエ~~~!!各地ではいろいろな出来事があったのですね。綴子とか米内沢とか調べてみます。ありがとう!!
★なまはげ
2006年06月01日 19:35
☆猫姫さんへ
 この頃の人たちは、それぞれが国のため、故郷のためと大きな犠牲をいとわず戦ったのでしょうね。考えさせられます。

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