★なまはげの独り言

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zoom RSS 走る楽しさ故郷で

<<   作成日時 : 2008/01/03 17:07   >>

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浅利純子さんのお名前をご存知の方は多いと思います。
今、日本の女子マラソンは世界をリードする立場にありますが、
その礎を築いてきたお一人が浅利さんでした。



「駅伝のまち」づくりを進める鹿角市が昨年11月17日に
浅利純子杯争奪第1回鹿角駅伝を開催し、
そこにはゼッケンをつけた男の子の背に手をやり、
「頑張って」と声をかけて伴走する浅利純子さんの姿がありました。
沿道の人だかりからカメラのフラッシュを浴びた
その顔に白い歯がのぞいていました。

画像


 
15年前、世界の頂点を極めたランナー、浅利純子さん。
その名前を冠した北東北3県の小中学生を対象にした駅伝大会が
11月17日に初めて開かれました。

「現役を退いて何年もたっているのに、
一緒に走りたいと思ってくれる人がたくさんいる。
こんなにうれしいことはない」




浅利さんが新しい人生の舞台に選んだのは、
生まれ故郷の鹿角市でした。



1988年に花輪高を卒業後、
ダイハツ陸上部(大阪府)に入部しました。

93年に大阪国際女子マラソンで初優勝したのに続き、
ドイツで開かれた世界選手権で金メダルを獲得。
日本の女子陸上に世界選手権・オリンピックを通じて
初の金メダルをもたらす快挙を達成したのでした。
その後の日本女子マラソン陣の活躍の先陣を切ったのです。

日本の期待を一身に背負って96年アトランタ五輪に出場。
しかし、素足でシューズを履いて靴擦れを起こしてしまい、
結果は17位に終わってしまいました。
2000年のシドニー五輪選考を兼ねた大阪国際女子マラソンでは
プレッシャーで一睡もできずにレースに臨み、途中棄権してしまいます。

浅利さんは数日後、
失意のどん底に沈んだまま、鹿角に帰ってきたのです。



実家で部屋に閉じこもる浅利さんを支えたのは、花輪高陸上部の仲間でした。

小学校から高校までずっと同級生でもある柳原忠和さん(38)は、
思っていることを表に出さずに我慢してしまう浅利さんの性格を理解していました。
「純子を励まそう」と陸上部の仲間数人に声をかけ、
「誰かに姿を見られるのは嫌だろうな」と
自分が経営する市内のすし店の2階を貸し切りにしました。
1年先輩で、後に浅利さんと結婚する高橋真さんもそこにいました。

勝つか負けるかの切羽詰まった闘いにボロボロになっていた浅利さんは
仲間の前ではじめて笑顔を見せたのでした。

アトランタ五輪で惨敗した後に帰郷した時には、
柳原さんは花輪高校の同級生で作る草野球チームの練習に誘っています。
グラウンド脇の芝生で、かつてのクラスメートたちが車座になって、
柳原さんが浅利さんに話しかけた。
「本当に足の裏の皮がむけたのか?」
浅利さんの靴下を脱がせ、足をのぞき込んだ。
「新しい皮ができ始めたから大丈夫だな」。
みんなで大笑いしたそうです。

浅利さんは言う。

「小さいころから、『純子ちゃん』と呼んでくれた地元の人たちや友達は、
私が有名になってもいつも温かく迎えてくれた。
すべてをさらけ出せるのはふるさとしかなかった」



00年にシドニー五輪出場を逃し、
里帰りした浅利さんを温かく迎え入れたのは仲間だけではありませんでした。

浅利さんは母親の栄子さんに打ち明けた。

 「走るのをやめたい」

 「やめていいよ」

それまで弱音を吐く度に励ましてくれた母の言葉は意外だった。
「私には帰る場所があると思った」
心が軽くなったそうです。


浅利さんは、3か月後、大阪に戻り、01年1月、現役引退を発表。
ダイハツでコーチを務めた後、
05年12月に鹿角に帰郷しました。
画像
06年3月、ずっとそばに付き添ってくれた高橋さんと結婚。
1年後、長男世央(せな)ちゃんが生まれました。


地元に戻り、駅伝大会で子供たちの笑顔に触れ、初めて感じたことがある。

「現役時代は感情の起伏が激しくなり、
本当の自分がわからなくなっていた。
もっと早く、走ることを楽しむことができたらもう少し長く現役でいられたかな。
これからは、自分を育ててくれた地元で、走る楽しさを伝えていきたい」





人生の岐路に立ち思い悩んだとき、
それまでのことは何もなかったように包み込んでくれる場所。

それが「故郷」というところなんですね。











んだば







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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
 こんばんは☆こねこです♪

 浅利さん、秋田の人らしい真面目なかたなんですね(微笑)。

 でも、だからこそ金メダルも取ることができたでしょうし、今の名声があるんでしょうね♪

 これからは奥さんとして、また母としての金メダルを目指すことになりますね(微笑)。

 ねこでした。ニャン☆
こねこ
URL
2008/01/03 18:15
こんばんは( ̄ー ̄)国体の時に浅利純子さんがトラックを走る姿を見て感動していました。選手時代の最後は辛い思いをしていたのですね(-_-;)故郷の友達が傷を癒していてくれたのですね。故郷の友達は本当にありがたいものですね。
私も昔の友達に連絡したくなりました。
微笑み
2008/01/03 20:02
 なまはげさん、どうもです (^^)/

 どんな人にも、生まれ育った故郷があり、幼なじみの友人たちが居ます。
 それは、お金では買えない、かけがえのないものなんですよね・・・
 言い換えれば、人生の宝物なのかな・・・
夢見るピーターパン
URL
2008/01/03 20:35
就職試験で浅利さんの問題が出たっけなあ…
故郷ですか。
あんまりいい思い出もなくて
盆正月も体調崩すくらい帰りたくないんですけど(笑)
帰るところがあるというだけでも
幸せなのでしょうね…
コマチ
2008/01/03 23:14
☆こねこちゃんへ
 秋田の女性は我慢強いことが特徴的ですが、浅利さんはまさにあてはまりそうですね。オリンピックでの惨敗やその後の不成績は彼女の気力を蝕んでいったのでしょうが、故郷の仲間が折れそうになる心を支えてくれていたんですね。
★なまはげ
2008/01/04 17:22
☆微笑みさんへ
 中学時代とか高校時代の仲間達は気取らずに心から相談できる信頼感がありますからね。ひとつ二つの失敗なんて友情の中で消えてなくなってしまうものなんでしょう。
★なまはげ
2008/01/04 17:28
☆夢見るピーターパンさんへ
 故郷は本当にいいものです。そこに降り立っただけで心が落ち着きますものね。友人達も昔のままの気持ちで付き合ってくれるし・・・まさにお金では買うことの出来ないものですね。
★なまはげ
2008/01/04 17:33
☆コマチさんへ
 故郷、あるだけでもいいものですよ。もし秋田に帰ることが出来なくなったらきっと寂しいものだと思います。文句言いながらも心の中では秋田が好きでしょう??(笑)
★なまはげ
2008/01/04 17:38
浅利さん、地元に戻られたんですね。
花輪高校、松宮兄弟をはじめ人材豊富だなあ。箱根の4区を走った山梨学院の選手も花輪でしたね。
むうさん
URL
2008/01/04 22:50
☆むうさんへ
 浅利さんは郷土の宝ですからね。
 山梨学院の箱根の代表は3区じゃなかったっけ?確か田中選手だったと思うけど・・。。今年の秋田出身選手は7名箱根を走りましたよ。
★なまはげ
2008/01/05 18:37

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