★なまはげの独り言

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zoom RSS 農聖と呼ばれた男

<<   作成日時 : 2007/11/01 17:04   >>

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今日から11月。
月めくりのカレンダーもあと2枚を残すのみとなりました。


ご存知の通り、秋田県は農業県として知られています。

かつて昭和30年頃には県全体の生産量の40%以上
農業が占めていましたが、
現在はおよそ3%程度を占めるだけとなってしまっているのが現状です。


このように産業構造が大きく様変わりしてきたのは事実ではありますが、
農業が主力産業の一つであることは、それもまた事実です。

半年間を雪に覆われる秋田県。
その中で、農業を個々の営みとしてではなく、
地域(県)を一つのものと考えて集団的研究し、
全体の農業の発展に努めた男がいます。


秋の収穫が一段落し、
身体の疲れを癒しながら今年の収穫を祝い、
来年の生産に向けて新しい情報を交換し、
他地区の成功を取り入れて
チャレンジ精神を養おうという催しが毎年開かれています。

明治11年から始まったこの催しは、
毎年11月1日から7日まで「種苗交換会」と銘打って、
全県各地を会場として持ち回り、
130年間一度も途切れることはありませんでした。

その基盤を築いたのが、
きょうご紹介する石川理紀之助という人物です。

画像


弘化2年(1845)に小泉村(現秋田市金足小泉)の
中堅地主・奈良周喜冶の三男として生まれました。
21歳の時に、
旧家である石川家に婿入りした当時は、
借金をかかえ苦しい生活をしいられていました。

農聖としての石川の特色は、
農事改良を単なる個人の営みとして進めるのではなく、
農民を広く組織して集団的研究に高めたことでありました。

慶応3年(1867)、
若者を中心に山田村農業耕作会をつくり、
豊かなむらづくりをはじめたのです。
農業を発展させようとしていた秋田県はその担い手として、
当時28歳の理紀之助に白羽の矢をたてました。
明治5年(1872)秋田県庁の勧業課に勤めることになったのです。

当時、秋田県農業の最大の課題は、腐米改良問題でありました。。
彼は、乾燥に問題があることをさがし新しい乾燥法をあみだし、
腐米の改良指導に尽力したのです。

新しい農業技術の普及を進めるため、
明治11年(1878)、種子交換会(現在の種苗交換会の前身)を開催、
新しい催しは、関心を呼び多くの人がくりだしました。
これを契機に毎年開催されるようになりました。

 
しかし、行政の第一線で働けば働くほど、
上からの指導には限界があることを痛感するようになってきたのです。
そこで、彼がやったことは、
行政とは別に、各地の老農を結集して、
自主的な農事研究団体として
「暦観農話連」(明治13年、1880)を組織したのです。


「何よりも得がたいものは信頼だ。
信頼はつつみかくさず教え合うことから生まれる。
進歩とは、厚い信頼でできた巣の中ですくすく育つのだ。」


結成時には、早くも74名もの老農層の参加を得ていました。
暦観農話連は、その後も加入者が増え続け、
明治末年には499名にも達しました。
さらに会員は秋田県にとどまらず、
山形、宮城、埼玉県にもみられるようになっていきました。
石川が組織した農話連は、
秋田県農業の発展に留まらず全国にも
計り知れない影響力をもっていったのです。

明治10年(1877)、米の値段が上がり出しましたが、
その5年後、値が急落したのです。
さらに冷害が重なり、どの農家も借金に悲鳴をあげていました。
至るところに盗人がはびこり、
山田村もまた借金であえいでいたのです。
 
「この息も絶え絶えの農村を救うにはどうしたらよいのか」
これまで培った知識と技術をもとに農民に戻り田畑を耕し、
山田村を建て直すことができれば道も開けるだろう。

明治15年(1882)、役人を辞める決断したのは39歳のときでした。

村人に提案した内容は
質の良い肥料を作り、これまでの倍の量を田んぼに施す。
そうすれば米の収量は確実に増える。
その増加した分を借金の返済にあてる。
無駄使いをやめ、暮らしに必要なものを共同で買う。
養蚕をとりいれ副業に精を出す。
仲間外れが出ないよう、助け合い、励まし合う。

というものでした。
画像
毎朝3時、彼は掛け板を打って村人を起こし、
農事に専念させました。
村人の努力と協力によって、
5年間で村の借金を完済することに成功。
「寝ていて人を起こすことなかれ」理紀之助が残した名言であります。
彼はこの時、村人と一緒に苦しみながら働いたからこそ、
村人もついてきてくれたと、つくづく思うのでありました。



山田村の救済は、一躍話題となり、
農商務省や山梨県、千葉県などで講演を行いました。
 
一部の人から理紀之助のやり方に疑念を抱く声がありました。
すると彼は、反証するために、
自宅から離れた草木谷の地に粗末な小屋を建て、
貧農生活を実践し、見事にそれを立証してみせたのです。
画像

明治29年(1895)、
農村の土地や土壌などの総合調査とも言える「適産調」を行いました。
実に7年の歳月をかけ、
秋田県と福島県の8郡49町村で行い、
成果は731冊の本にまとめられたのです。
この調査をもとに、
各地の農村の指導にあたり実績をあげていったのです。


明治34年(1901)
畏友・前田正名から九州・宮崎県の谷頭の農村建て直しを要請されます。
翌年、家族に形見を与え、
「途中にて客死するとも、白骨となりて帰らん」
との非常の決意をもって現地に赴いていきました。
 
さらに晩年には、
秋田県仙北郡の九升田の建て直しを依頼され、
徐々に体調が悪くなっているのも顧みず、
大正4年亡くなる寸前まで九升田の建て直しに尽力したのです。

掛け板の音は響く
「世にまだ、生まれぬ人の耳にまで/響き届けよ、掛け板の音」
毎晩3時に、村民の起床を促すために打ち慣らす掛け板について詠んだ和歌です。

吹雪の朝、理紀之助がいつものように午前3時に打ち終えて、
雪まみれになって家に入ると、妻が言った。
「このような吹雪の朝に、
掛け板を打っても誰にも聞こえないし、
ましてやこの寒さでは、
誰も起きて仕事をしようとはしないでしょう」
と。
理紀之助は答える。
「そうかも知れないが、
私はこの村の人々のためだけにやっているのではない。
ここから500里離れたところの人々にも、
また500年後に生まれる人々にも聞こえるように打っているのだ。」

画像
理紀之助は、どんなに貧しく、苦しくとも、未来を信じ、
世の人々に期待して掛け板を鳴らし続けたのです。
まさに、農村の救済活動に一生を捧げた郷土の偉人であり、
彼を抜きにして秋田県農業の歴史は語れないと言えるでしょう。
その遺志は、
戦争の中でも一度も休むことなく開催された
「種苗交換」に如実に受け継がれています。
今や「先人に学び農業の未来を開く」と題した種苗交換会は、
全国でも最大の農業祭に発展し、
秋田県農業・農村の発展に計り知れない効果をもたらしているのです。


明日は今年も開かれている「秋田県種苗交換会」を
過去の写真なども交えてご紹介したいと思います。







んだば










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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
 こんばんは☆こねこです♪

 農業の世界も情報の交流というのがなされてきたんですね。
 でも、そうしないとお互いの繁栄につながらないですし、狭い世界しか知らないという農民に育ってしまいますね。

 ねこでした。ニャン☆
こねこ
URL
2007/11/01 18:17
なまはげさん、どうもです (^^)/

「寝ていて人を起こすことなかれ」
 う〜ん、重いことばですねぇ・・・
 今の霞ケ関に巣くっているアホ役人たちにぜひ聞かせたいですねぇ・・・
夢見るピーターパン
URL
2007/11/01 18:37
農聖の話ー。
老生も小百姓の出ですから,身近な思いがあって,繰り返し読みました。近代農業の草分けにふさわしい偉人ですね。憧れます。
閑 客
2007/11/01 20:13
こんばんは(⌒‐⌒)種苗交換会が始まりましたね。種苗交換会が開催中は天気が荒れるとのジンクス通り一日荒れた天気になりましたね( ̄▽ ̄;) 石川理紀之助は初めて知りました。そんな歴史があったなんて。尊敬しちゃいます(^з^)-☆
微笑み
2007/11/01 20:18
☆こねこちゃんへ
 今では当たり前に情報の交換などが行われていますが、その昔はその家庭に代々伝わってきたものしか信用していなかったようですね。情報公開の意識付けは相当苦労したようですね。
★なまはげ
2007/11/02 18:35
☆夢見るピーターパンさんへ
 まさに同じ事を考えていました。自らが率先して行動してくれなくっちゃ、それだけではなかなか動きませんからね。
★なまはげ
2007/11/02 18:39
☆閑客さんへ
 石川がいなかったとしたら、秋田の農業はどうなっていたことでしょうね?きっと、大規模な破綻の憂き目にあっていたかもしれません。全国の農業にも大いなる影響を与えた方だと思います。
★なまはげ
2007/11/02 18:43
☆微笑みさんへ
 そういえばそんなジンクスもありましたね。初日からそのジンクス通りになってしまいました。秋田の農業を変えた男の事を覚えていてくださいね。
★なまはげ
2007/11/02 18:45
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秋田の農民
2008/05/09 22:58
 秋田の村長・高橋正作は、天保の飢饉に遭い、全私財を投げ打って、村人550人余の食糧を購入し、一人の餓死者も出さなかった。正作は村人に炭焼きをすすめ、営業停止の院内銀山に炭を売り、村人は生きのび、銀山は復活。そして東洋一の銀がとれた。19歳の石川理紀之助は、高橋正作に出会い、正作を人生の師と仰いだ。『村守る、命かけてもー聖農 高橋正作伝ー』(秋田魁新報社刊)より
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