★なまはげの独り言

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zoom RSS 平安の謎

<<   作成日時 : 2007/10/12 17:13   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 10

国の文献などには全く載っておらず、
その名称すら定かなものは発見されてはいないのだけれど、
1902年、偶然に田んぼの中から見つかった柵木から、
東北地方最大級の平安時代の城柵の存在が明らかになりました。


旧仙北町と千畑町にまたがるこの広大な城柵は、
仮の名前として「払田の柵」(ほったのさく)と呼ばれるようになりました。

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通年学術調査を実施しており、
現時点までおおよそ次のことが判明しました。
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地上高約3.6mの外柵は、
東西約1370m、南北約780mの楕円形で囲まれていて、
内部の面積はおよそ88haと東北では最大級の規模を持ちます。
外柵の内側には外郭で囲まれた政庁などが建てられていて、
軍事的・政治的機能を持った拠点であったことが伺われます。

外柵・外郭共に東西南北に門が作られていて、
外柵南門には高さ9.7mの門が復元されています。
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外柵南門からは真っ直ぐに外郭南門に向かって、
幅10mほどの道路が敷かれています。

画像

こちらの南門はいまだ復元されていませんが、
門の先には石段が続いて、
高台に上っていくように出来ています。

この高台の上に、
政治の中心的建物が作られていたのです。


画像

政庁を真ん中に据えて、
東西に二つずつの建物を備えた本格的政庁の構造です。



政庁は中心施設であるが儀礼的な場であり、
実務的な場(建物)は政庁からやや離れた長森丘陵東側に置かれたと思われます。


対する西側丘陵域は主に鉄・銅などの金属の生産や加工の場として利用され、
工人集団の作業場兼居住域であったことが判明しつつあります。

画像
外柵で囲まれた広大な低地は当初、
耕地が広がり馬が放たれ、
兵士・農民が居住する空間と推測していました。
ところが実際には複数の川が流れ、
河川敷・湿地が広がる所であり、
居住には適さない場の多いことが明らかになってきました。
しかしこの区域は水や火を用いて行う祭祀には好都合の場であり、
近年祭祀関連の遺構・遺物が多く発見されました。

 
このように払田柵は軍事的、政治的な要素を兼ね備えた国の役所であるとともに、
柵内では鉄の生産や鍛冶、
さらには祭祀もとり行われていたと思われ全体像が徐々に明らかになってきています。



発見されてから100年以上経ってはいますが、
本格的発掘調査が行われてまだ30年余り。

広大な敷地内全体の調査が終了するには、
まだまだ長い年月が必要なようです。


外柵南門脇には資料館も建設され、
数多くの出土品なども展示されていました。


およそ200年に亘って活用されていたこの城柵。
いまだ明かされていない歴史的事実や、
蝦夷との戦いの記録など、
今後の調査に大いに期待したいものです。






んだば






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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは(⌒‐⌒)ここ私の生まれ故郷のそばなんですが・・なんの施設なのか知りませんでした(^o^;) 平安時代のものだったなんて(゜゜;)\(--;) まだまだ発掘中なんですね。世紀の大発見があるかもしれませんね。
微笑み
2007/10/12 19:55
払田の柵。古文書にないのですか。よく整った大きな区画ですのにねぇ。気に留めておきます(見つけたら大発見?)。
閑 客
2007/10/12 20:03
 こんばんは☆こねこです♪

 違う記事で秋田の過疎化や経済的に苦しい事を書いていましたが、こういう歴史的建造物(跡地も含め)が残されてるのを見ると、今のままでいてほしいと思ってしまいます。ちょっとした葛藤でもありますけど(微笑)。

 ねこでした。ニャン☆
こねこ
URL
2007/10/12 20:22
☆微笑みさんへ
 微笑みさんは仙北の女性でしたか!払田の柵にはずいぶん前から興味があったのですが、なかなか中に入ることは無かったんです。先月の末にここに行くことが出来たんですが、なかなか記事にまとめることが出来ませんでした。これからの調査に大発見があることに期待しましょう。
★なまはげ
2007/10/12 22:15
☆閑客さんへ
 いろんな文献の中にこの城柵の記述を発見したのなら、大発見になりますよ。
★なまはげ
2007/10/12 22:18
☆こねこちゃんへ
 もちろん経済的窮地にありますし、過疎化に向かっているのも事実です。しかしこのような文化的遺産がたくさん存在しているのも事実なんです。文化的遺産を守りながらも経済・人口の問題をクリアしていくことは充分可能なことだと思いますよ。
★なまはげ
2007/10/12 22:22
歴史の表舞台に登場しなかった文化なんてちょっと素敵ですね。
豊かな土地柄ですもの、人々のくらしも栄えていたことは想像に難くないですしね。
今は、農作物や自然が豊かなだけでは栄えていけない時代になってしまい寂しいことです。
先祖伝来の土地を守り、文化をはぐくんできた人々の営みは、根っこのところでは変わらないと思うのですけれどね…
なぞが明らかになって、人々の関心が高まると少しは変わるのでしょうか。
コマチ
2007/10/13 14:41
☆コマチさんへ
 この外柵に使われていた木材の量だけでも、莫大な量になります。これだけの木材を切り出し、ここに運び込むだけでも相当な労力が必要だったでしょうね。またこれだけの備えをしなければならないほど、蝦夷との戦いも激しかったのでしょう。
今後の調査でどのような新事実が明らかになるのか楽しみでもあります。
★なまはげ
2007/10/13 17:45
へぇ〜、、、
文献もなにも、残っていないんですね?
ロマンス、、、
てか、当時の人たちは、大変だったんでしょうねぇ、、、
猫姫少佐現品限り
URL
2007/10/18 15:06
☆猫姫さんへ
 なにしろ敵地の真ん中に砦を築くのですから、造っている間は警護で大変だったでしょうね。柵が出来てしまえば後はかなり楽になったのではないでしょうか。
★なまはげ
2007/10/18 17:02

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