★なまはげの独り言

アクセスカウンタ

zoom RSS 院内銀山栄華の跡 今は

<<   作成日時 : 2007/09/24 17:15   >>

驚いた ブログ気持玉 1 / トラックバック 1 / コメント 10

秋の宮温泉郷をあとにした我々は、
小野小町の生まれ在所、雄勝の郷の遺跡、
院内(いんない)銀山異人館へと向かいました。



画像


実はこの建物は、院内銀山資料館として使われているだけではなく、
JR奥羽本線院内駅の駅舎としても利用されているんです。


JRを利用して院内を訪れると、
一番先に、院内銀山の歴史を知っていただける
ということになるんですね。


今年の話題の中に、
島根県の石見銀山が世界遺産の指定を受けたのがあります。

そのニュースを聞いて、
それに勝るとも劣らない院内銀山が候補にすら上らなかったと言うのが、
秋田県人として悔しくて悔しくて・・・・・。。

ただ、私自身も院内銀山の歴史を詳しく知っていたわけではなく、
今回、すぐ近くまで来たものですから、
同行の皆に我侭を言い、ここに寄ったのです。


画像
院内銀山は慶長11年(1606年)、
関が原の落ち武者、村上宗兵衛ら4名によって発見されました。
翌年から秋田・佐竹藩が採掘にかかると、
全国から鉱山技術者・労働者が集まりました。

鉱脈の枯渇により、一時衰退の兆しも見えたのですが、
1800年以降、新たな鉱脈が発見され持ち直しました。

画像
天保年間(1830年〜)には益々発展していきました。
特に天保7年から10年間くらいは、
「天保の盛り山」と呼ばれる最盛期になり、
一ヶ月百貫(およそ375s)の産銀があり、
銀の産出量は日本一を誇っていました。
(銀で作られている百人一首


奥深い山峡の地に、
戸数4千軒以上、人口1万5千人以上の人が住み、
当時の城下町久保田(現 秋田市)を凌ぐ、
藩内随一の大集落になっていたのです。

画像
明治時代になると、
鉱山の経営権は藩から国に移り、
周辺の道路なども整備されるようになりました。

国もドイツ人技師を雇い入れ、
この地に派遣しています。
その時に建てられたのが異人館です。
(当時の集落の写真。狭い山間に民家が密集しています。


画像
明治14年9月21日には明治天皇も行幸され、
今もなお、「鉱山記念日」となっています。
(明治天皇もお入りになった坑道、御幸坑

その後、経営権は民間に移り、最終的には古河の手に移りました。
東北地方を中心に多くの鉱山経営権を持った古河は、
その後、大財閥になっていったのは皆様ご承知の通りです。


明治時代は銀の生産量全国4位の院内銀山でしたが、
明治末期の銀の暴落により採算が悪化、
大正時代に規模を大規模に縮小せざるを得なくなってしまいました。

細々と採掘を続けていたものの、
ついに昭和29年(1954年)、
350年の鉱山の歴史に幕を閉じたのです。



というところまで調べてこの日は帰ったのですが、
どこかに何かが引っかかっていたのです。




で、叔父の葬儀が終わった翌日、
秋田市に帰る道を変更し、
院内銀山に一人向かいました。


どうしても引っかかっていたもの・・・・・




車で案内板を頼りに進むと、
院内銀山入り口の看板を見つけました。

入っていくと、やっと車一台が走れるくらいの道が続いています。

ところどころに、「○○跡地」の杭がありますが、
辺りは雑木林の中。

と、高台に奇妙なものを見つけました。

画像
院内銀山には11箇所のお寺が建てられて、
死者はそれぞれのお寺で供養されていたのですが、
中には、縁者も無く無縁仏として葬られた人も多かったそうです。

ここは、三番共葬墓地で、
墓石が無数に立てられていました。
解説碑には三千余柱があると書かれています。

最盛期には二万人もの人が全国から集まったのです。
たった一人でここに来ていた人もかなりいたことでしょう。

今はもう誰も足さえ運ばぬ草の中に、
苔むした墓石の下に横たわっているのでしょう。


画像
車で少し走ると、「金山神社」があります。

明治天皇が行幸された9月21日には、
院内銀山祭りが奉納されるので、
その準備にいらしたのだそうです。






この方に、疑問に思っていたことを尋ねました。





「今、この銀山地区に住まわれている人口は?」



単純明快な答えが返ってきました。



「ゼロ」






納得!!







んだば








テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
驚いた

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
フィットネスクラブ in 島根県: カーブス松江島大前
島根のフィットネスクラブ口コミ情報。健康ダイエット運動にお役立ち!これであなたもメタボ解消! ...続きを見る
生活習慣改善でリバウンドのない健康ダイエ...
2007/09/25 15:24

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは〜♪
院内銀山の繁栄の様子は 以前★なまはげさんが紹介していた「秋田美人の謎」の本にも書いてありましたよね。ホントにそんな栄えていたのか…?と思われるほど 今はひっそりとした遺跡で想像つきませんけど。銀山跡も 夏は虻だらけで 車から降りることすら出来なかったので 見たことないんです。でも 子供の頃は裏の川で 銀山の鉱石のかけらを拾って集めてましたよ〜。いくつか持ってきたはずなんだけど どこ行ったかな〜。
moon
2007/09/24 18:05
 こんばんは☆こねこです♪

 栄枯盛衰という言葉が当てはまりますね。
 世界遺産に推したいくらいというだけで、いかに素晴らしいものだったかが伝わってきますね♪

 今は誰も住んでいないというのも、過去の栄光を際立たせることになるんですね・・・。

 ねこでした。ニャン☆
こねこ
URL
2007/09/24 19:31
こんばんは(⌒‐⌒)疑問があれば徹底的に調べに行くとはさすがですね。 院内銀山はまだ一度も訪れたことがありません。異人舘が駅になっているのなら電車で行けますね。いつか行ってみようかな!
微笑み
2007/09/24 20:11
☆moonさんへ
 へえ、あの「秋田美人の謎」の本を読んだんですね。実際に現地に行って見ると、当時の面影など全く感じられないところでした。あちらこちらに点在していた各宗派のお寺跡に墓石が数多くたっているのが、唯一、人が多数住んでいた名残でした。
 その鉱石に、多量の銀が含まれているかもしれませんよ。
★なまはげ
2007/09/24 22:42
☆こねこちゃんへ
 栄枯盛衰、全くその通りですね。もう少し整備して観光施設として発展させれば、貴重な遺跡として観光客を呼び込むことができるはずなのに、残念な惨状でした。
★なまはげ
2007/09/24 22:49
☆微笑みさんへ
 院内駅が改修されるのを機に、異人館をここに移設したようです。もっと観光客を誘導できるように整備をしたら良いのにと感じてきました。せっかくの貴重な遺跡が勿体なく思えてしまいました。
★なまはげ
2007/09/24 22:55
おお、私の在所の近くにそんな遺跡があったとは知りませんでした。
奥羽線はよく使うのですが、院内までは云ったことが無かったなあ。
今度行ってみます。
コマチ
2007/09/25 00:45
☆コマチさんへ
 おや、コマチさんは院内銀山をご存じなかったのですね。是非一度この異人館を訪れてみてください。きっと院内の虜になりますよ。
★なまはげ
2007/09/25 18:22
石見との違いは、その遺産を現在にどう伝えているか、どう生かしているかというところにあるんでしょうね。北海道の炭鉱もそうですが、かつての栄華を伝えることすら困難になっています。
むうさん
URL
2007/09/25 19:15
☆むうさんへ
 全くの同感です。過去の歴史を後世にいかに伝えるのか、真剣に考えねばならないと思います。
★なまはげ
2007/09/25 19:39

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
院内銀山栄華の跡 今は ★なまはげの独り言/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる