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zoom RSS 鎌倉幕府に一目置かれた男

<<   作成日時 : 2007/08/22 17:02   >>

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はじめに、今日話題にする本荘由利地方が
ここ数日の局部的集中豪雨により避難勧告や警戒警報が出されています。
これ以上の被害が出ないように願うのと同時に、
住民の安全と無事を祈っていたいと思います。






「吾妻鏡」と言う書物は、鎌倉幕府が創られていく過程を
事実を元に書かれている書物です。
もちろんそれは、鎌倉幕府側から見た価値観で書かれてはいますが、
その中に書かれている事項は間違いなく事実であったのでしょう。

画像



秋田県南部の日本海岸、鳥海山の麓一帯を由利地方と言います。
今は由利本荘市とにかほ市に分かれていますが、
平安時代からこのあたりを治めてきた地頭に
由利八郎維平(ゆりはちろうこれひら)と言う武将が居りました。


平泉の藤原文化の最中から長くこの地を治めていたのです。
当然、いきなり鎌倉幕府が奥州に攻め入ってきたときも、
奥州軍の一員として参戦しました。

泰衡が首を取られた後も抵抗を見せていたのですが、
ある小競合いの中、捕虜となってしまいました。

捕虜になった由利八郎維平を捕獲したのは
誰なのかがハッキリしなかったので、
頼朝は梶原景時に由利から聞きだすようにと命じます。

梶原景時は奥州に住む人間を『蛮族・俘囚』として見下していた武将で、
由利に対しても居丈高な態度で接しました。
言わぬなら拷問も辞さぬとの態度でしたが、
由利は「無礼」としてガンと口を利きませんでした。

困った頼朝は梶原景時の任を解き、畠山重忠に変えました。
畠山重忠は梶原景時とはガラリと態度を変え、
対等な立場として聞き出します。
畠山重忠にはすらすらと質問に答え、その責を果たさせます。

その真の武士たる態度に関心を持った頼朝は
由利八郎維平に会う事にしました。
そして頼朝が「奥州の主君であった泰衡は不甲斐ない人物」と言った時、
由利八郎維平は頼朝の父義朝の話を持ち出し、
「出羽陸奥の二軍しか持たない奥州軍が
28万もの大軍相手に20日以上も抵抗したのは素晴らしいこと」

と反論したのです。
その反論に頼朝は黙ってしまったそうです。
さらに、義経を事あるごとに悪者扱いしてきた梶原景時にも
批判を言い、梶原景時に万座で赤恥をかかせます。

捕虜となっても堂々とした態度は「憤怒阿修羅の如し」
と吾妻鏡に記されています。

後に頼朝は「由利八郎維平には温情を施すべし」と命令を出します。


一度は頼朝について鎌倉に同行しますが、
元の領地、由利一帯を安堵され
晴れて長年暮らしてきた領地に鎌倉の地頭として復帰することが出来ました。






さて、秋田の武将の中には最後まで鎌倉幕府に抵抗を続け、
一時は平泉を取り返した剛の者がいます。

その抵抗は僅か3ヶ月ほどで露と消えてしまうのですが、
現在の地名で言えば、
秋田・青森・岩手を制し宮城まで幕府軍を追い込んだ物語は・・・・・

また明日のお楽しみと言うことで。。







んだば







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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
 こんばんは☆こねこです♪

 源頼朝って、人望がある一方で非常な面も持っていたそうですね・・・。

 歴史上の人物は、ただ勉強で習うだけじゃなく、今の社会にも通ずるところもあるので、いろんな人物を知ることが大切でしょうね。

 そういう面でも、ここでの歴史を学ぶことは私のわずかな知識に上積みが期待できるのでしょうか・・・。

 ねこでした。ニャン☆
こねこ
URL
2007/08/22 19:28
歴史ものは 名前を覚えるのが苦手で大変なのですが 何とか付いていってますよ〜(汗)

ほら 私って横文字の方が得意だから(大笑)

私も わずかな知識にウワズミを期待しまーす!!
+あい
URL
2007/08/22 20:34
由利八郎維平のような,骨っぽい人の話は好きです。武士が台頭した初期のことなのに,もう武士といえる武士が生まれていたんですね。
明日はもう一人の硬骨漢ですか,楽しみです。
閑 客
2007/08/22 20:39
平安時代とか鎌倉時代とかの話題にとっと惹かれています。
今日は、京都・ひとまち交流館というところに初めて行ったのですが・・・そこで、当時の京の都の地図を見てきました。
江戸時代そして、今日とその変転振りと合わせて・・・秋田地方での武士の思いがユニークですね。
Tatehiko
2007/08/22 21:10
源義経がいじめぬかれていた梶原景時に秋田の武士が恥をかかせたとは痛快ですね。捕われの身なれど憶することない由利の態度に感動します。
微笑み
2007/08/22 21:32
なかなか面白い逸話ですね。
最後まで平泉方について戦ったというのも、
梶原の非を述べたというのも目に浮かびそうです。
むうさん
URL
2007/08/22 21:40
☆こねこちゃんへ
 頼朝は長い間、島流し状態にあったわけですから簡単に他人を信じることが出来なかったのでしょうね。例えそれが自分の弟であっても。そんな頼朝の性格が奥州攻めに繋がっています。
 この時代の人間の中に、由利八郎維平のような武士も居たんだと言うことを知ってもらえただけでも嬉しいですよ。
★なまはげ
2007/08/22 22:43
☆+あいさんへ
 何とかついて来て下さいね。
今度歴史物を扱う時は、できるだけ横文字で表記するようにします(爆笑)。
★なまはげ
2007/08/22 22:47
☆閑客さんへ
 まあ捕らわれの身となって、破れかぶれの気持ちもあったのでしょう。ただ卑屈になるだけではなく正論をぶつけた事で、頼朝も反論できなくなってしまったのでしょう。明日のお話も楽しみにしてください。
★なまはげ
2007/08/22 22:52
☆Tatehikoさんへ
 平安末期から鎌倉始めにかけてのお話です。鎌倉がいかにして確固たる幕府を築きあげていったのかのヒントにもなろうお話です。
★なまはげ
2007/08/22 22:56
☆微笑みさんへ
 あはは、まさに!!!
★なまはげ
2007/08/22 22:59
☆むうさんへ
 いや、意外とやけくそな気持ちだったのかもしれませんよ。開き直った人間ほど強いものはありませんから。
★なまはげ
2007/08/22 23:01

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