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zoom RSS 奥州藤原氏終焉の地

<<   作成日時 : 2007/08/21 17:02   >>

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東北地方が日本史の中で中央に飲み込まれていったのは、
平泉の藤原家が途絶えた事に重なります。
大和の時代からそれまで、
東北以北は蝦夷(えみし)の国として怖れられ、
中央からの侵略は殆ど成功しませんでした。
また、東北からの中央への進出もありませんでした。
出羽・陸奥の奥州はまさに一つの独立国の様でもありました。
平安末期、もしもあの有名な武将が逃げ込んでこなかったのなら、
奥州はまだまだ独立国家として、
中央政治とは別の確固たる文化を築いていたに違いありません。



平泉で藤原氏が独自の平泉文化を築いて百年。
鎌倉幕府から追われ、平泉に身を寄せていた源義経は
藤原4代目泰衡の襲撃を受け自害します。
にもかかわらず、泰衡は鎌倉幕府の源頼朝に追われ
秋田県内で非業の最期を遂げています。


源義経を平泉で討ち取った泰衡は、
頼朝に忠誠心を誓いますが、
頼朝はそれを聞き入れず奥州に28万余りの軍を引き連れて
泰衡追討の兵をあげたのです。

1189年8月、泰衡は平泉に火を放って、
数千の兵とともに蝦夷島(現 北海道)に渡るべく逃げ出します。

画像
途中、出羽の国比内郡贄(にえ)の柵(現 秋田県大館市)の
郎従・河田次郎を頼り立ち寄ります。
しかし、河田次郎は自らの兵に舘を囲わせ、
あたかも鎌倉軍に取り囲まれてしまったかのように偽装し、
泰衡を自害に追い込んでしまいます。
泰衡、35歳のことでした。

首の無い泰衡の遺体は、
地元の里人によって錦の直垂に大事に包まれて埋葬され、
その墓は錦様と呼ばれたと…。
大館市二井田地区に現在も残る錦神社がそれであります。



意気揚々と泰衡の首を頼朝に差し出し、
いくばくかの恩賞にあずかれると思っていた河田次郎は、
「汝、譜代の恩に背く、大逆である」と
頼朝によってその場で首をはねられてしまいました。




泰衡の死後、ひと月ほどあとに、
平泉から泰衡のあとを追って三人の子供を連れて、
泰衡の妻が近くまでやって来ました。
画像
夫の非業の最期を知った妻は
地元の里人に子供達を託し、
夫のあとを追って自害してしまいます。
哀れんだ里人は、
泰衡の墓のそばに社を建て
御霊を祭りました。
西木戸神社がそれです。
そんな奥方を哀れんで里人が五輪の塔を作ったのですが、
今は三輪であり、下の二輪は、
泰衡が祀られている錦神社に後に移された故と言われています。


出羽の国の後三年合戦(後三年の役)で勝利し築き上げられた藤原文化は
皮肉にも同じ出羽の国でその歴史の幕を閉じることになってしまいました。




この泰衡の郎従に、
頼朝軍に捕虜になりながらも堂々と頼朝と問答を交わし、
命を助けられたばかりか、
鎌倉の重臣として迎え入れられた由利八郎維平という武将と、
あくまで鎌倉幕府に抵抗し続け、
一度は平泉を取り返した武将大河兼任(おおかわかねとう)のお話も、
史実として「吾妻鏡」に記されています。


源頼朝が奥州に兵を出してから奥州を治めるまで、
秋田の男が繰り成した戦国ロマン。
秋田人の気性を知る上でも良く現している出来事です。

そんな二つの物語を
明日からご紹介していきたいと思っています。






んだば






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あなたが今、存在するのは・・・?真剣に、考えたことがありますか?単純に両親がいたから・・・ ですか?二人の男女がめぐりあう確率は、日本だけでも1億3千万分の1です。そして、好きになって結婚する確率は・・・(難)・・・?そして、何億分の1の確率であなたが生まれました!その又両親も、同じ奇跡の確率で出会い・・・結婚して・・・子供が・・・この奇跡の確率と命の連鎖が一瞬も途切れないで、何十代も続いたからこそ、あなたはこの世に存在するのです!この連鎖を辿っていくと、最後は海の中までいっ... ...続きを見る
「人生」とはなんですか?
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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
 こんばんは☆こねこです♪

 哀しい出来事ですね・・・。
 私も同じ立場だったらあとを追うでしょうね。誰も止めないと思うけど・・・。

 ねこでした。ニャン☆
こねこ
URL
2007/08/21 19:38
戦国の世〜男たちの〜勢力争いの〜
政局=の裏〜^^悲しい性・・・
大将や〜その妻〜家族は・大変ですね!!
でも〜「んだば〜^^」のつづき〜
次回〜楽しみに〜しています!!・・・・
(●´∀`●)・・・・・
かすみ草^^
2007/08/22 07:34
藤原泰衡って、平泉を潰した悪いイメージしかありませんでした。亡骸を大切に神社まで建ててもらったり、奥様にも独立した神社があったりして、結構良い殿様だったのかもしれませんね。これまで藤原三代のお話は聞いたことありましたが、泰衡が秋田県内で亡くなっていたことさえ初めて聞きました。
微笑み
2007/08/22 07:57
☆こねこちゃんへ
 結婚前はみんなそう思っているんだろうけど、結婚して子供が生まれて、10年もしたらそうは言わなくなっていると思うんだけど・・・・どうかなあ?(爆笑)
★なまはげ
2007/08/22 17:10
☆かすみ草さんへ
 歴史の紹介の時はアクセスがかなり少なくなっちゃうんだけど、自分が好きだから気にしないで投稿しています。自分のブログだから自分の好きなものを書きたいしね。かすみ草さんのように楽しんでくれる人が居るだけで嬉しいですよ。ありがとう!!
武士の時代に生まれなくて良かったとつくづく思いますね。
★なまはげ
2007/08/22 17:15
☆微笑みさんへ
 これまで泰衡について言い伝えられてきたものは少ないですからね。秋田県内で殺害されたことは知っていたのですが、今回詳しく調べてこの神社があることがわかりました。平泉から遠く離れていたにもかかわらず、この地で大切に葬られていたことは、藤原時代の政治が良かったことの現われなんでしょうね。泰衡個人の評価するには余りにも短い政治生命でしたが。
★なまはげ
2007/08/22 17:20
平泉から北に逃れる場合、大館経由だったというのがなんだか興味深いですね。鎌倉と対峙せざるを得なくなった泰衡の苦悩を想像するのもおもしろいなあ。
むうさん
URL
2007/08/22 21:45
☆むうさんへ
 平地を辿って逃げるのは慣れない鎌倉軍に有利だったんでしょうね。山を抜けて大館に出て津軽から北海道に渡るつもりだったのでしょう。
 世代交代の一番最初に頼朝に狙われてしまったのですから泰衡も可哀想な運命です。
★なまはげ
2007/08/22 22:34
青森津軽半島に、義経と弁慶がここから北海道へ渡ったというところが、ありますね。
猫姫少佐現品限り
URL
2007/08/26 14:48
☆猫姫さんへ
 あちらこちらに義経が立ち寄ったというところがあります。が、今だ証明されていないのが現状で、そうであってほしいという願望が変化したものと考えられていますよ。
★なまはげ
2007/08/26 15:56

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