★なまはげの独り言

アクセスカウンタ

zoom RSS 平安の風わたる公園

<<   作成日時 : 2007/06/28 17:00   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 10

日本史の中で、
今の東北地方を戦場としたいくつかの騒乱がありました。

その中でも、平安時代にあった前九年・後三年の大きな二つの戦いは
一族の骨肉の争いにまで発展し、
大いに中央政権を怖れさせた戦いでもありました。

この二つの戦いと平泉の藤原氏の繁栄のもとについては、
お話が長くなります。
が、是非皆さんにも知っていていただきたいお話ですので、
過去記事を参照していただければ幸いです。

参考記事  奥州の覇者 その一
奥州の覇者 その二
奥州の覇者 その三
奥州の覇者 その四



この一連の争いの最終の戦場となったのが、
世に言う「後三年の役」で、舞台は今の秋田県横手市。

昨日はこの古戦場を訪れてみました。


画像

「雁行の乱れ」の伝説の戦場となった西沼です。
今は『平安の風わたる公園』として整備され、
市民の憩いの場となっています。

画像
ここには、前九年の役から後三年の役を通して
平泉文化への歴史的流れや、
それぞれの古戦場の位置、
また、戦の中心人物4人のブロンズ像が置かれていて、
歴史公園としての特徴ももっています。


清原清衡
(後の平泉文化創始者 藤原清衡)像
他に、源八幡太郎義家、清原家衡、清原武衡
の三体もあります。





画像

西沼にかかる三連の太鼓橋「雁橋(かりがねばし)」

橋の真ん中から見る西沼は、
「つわものども」の苦難をまるで感じさせない、
静かな水面でした。




画像
三連橋の袂には、今を盛りに咲き乱れている
「菖蒲(あやめ)」です。

雁が飛び交う時期ではありませんが、
古戦場の中にこのような花が育てられているのには
ホッとさせられるものがあります。




画像


壁画レリーフ(雁行の乱れ)


おやおや、またまた紙面が足りなくなりました。

後三年の役、最終決戦地「金沢柵(かねざわのさく)」と、
金沢八幡宮の紹介はまた明日にします。

「コマチさん」の宿題の解答は、
明日の記事の中ですることにします。
引っ張りで申し訳ありませんが、
また明日もお楽しみに!!






んだば








テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
 なまはげさん、どうもです (^^)/

 私は、歴史が大好きなんですが、ヘソ曲がりなので、まっすぐに史実を受け入れる事はまずありません (^.^ゞポリポリ
 たいてい、「勝てば官軍」で、負けた方が悪者にされてしまうのが「歴史」というものだからです。
 個人的な見解では、勝った方がたいてい悪者だというのが私の見方です(爆笑)

 しかし、藤原氏については、東北の誇りだと思っています。
夢見るピーターパン
URL
2007/06/28 18:56
壁の角を使った壁画レリーフは好いですねぇ。角が生きて,立体感が強まって見えます。
明日の話に期待しています(合戦物語があるものと胸を躍らせながら…)。
閑 客
2007/06/28 20:38
オホホ
金沢八幡宮ですね…楽しみにしてますわ。

あのあたり、JRの駅名も「後三年」というんですよね。
そういえば、その頃のことだと思うのですが
鎌倉権五郎カゲマサさんという武将の目に矢が刺さり
部下が(あれ、部下が鎌倉さんだったかしら?)
抜こうとするのだけれどもうまく抜けず
「よい、足をかけて力を入れよ」
「では失礼」
と武将のお顔に足をかけて矢を引き抜いた。
その後、血を洗い流した河の流れにいた河鹿が
みんな片目になってしまったという
眼っこ河鹿のお話が地元の子供たちに語り継がれています。
今はどこの河にも河鹿なんてそうそういませんけどね。
コマチ
2007/06/28 21:36
 こんばんは☆こねこです♪

 遅くなってゴメンなさい!
 疲れでうたたねしちゃってました・・・。

 古戦場が近くにあると、いにしえの武士の息遣いが聞こえてきませんか?(微笑)

 長い長い年月が経って、武士が歩いていた場所に現在の私たちが同じ場所に立っているのも不思議ですよね♪

 ねこでした。ニャン☆
こねこ
URL
2007/06/28 23:12
☆夢見るピーターパンさんへ
 今となっては、人物的に優れていたかどうかは判断に困ってしまいますが。清原(藤原)清衡がこの戦いに勝利し、後に源義家が失脚するというラッキーが重なったおかげなのです。このときにもしも家衡が勝利していたら、平泉文化は「横手文化」に変わっていたかもしれませんね。
★なまはげ
2007/06/29 17:53
☆閑客さんへ
 詳しい合戦物語は、申し訳けありませんが過去記事のほうを御覧になってください。時代を追って物語が展開しています。
壁面レリーフは3場面があるのですが、今日は「雁行の乱れ」の場面を掲載しました。そばで見るとまた違った迫力がありますよ。
★なまはげ
2007/06/29 17:58
☆コマチさんへ
 ちょっとお話が「山内一豊」とごっちゃになっています。顔に刺さった矢を足を掛けて抜かせたのが「山内一豊」で、鎌倉権五郎景正は足を掛けて抜こうとした家来に「武士の顔に足を掛けるとは・・・!!」と怒ったとされています。厨川まで行き自力で矢を抜き、その目を川の水で洗い、その後その川から・・・・。。という片目のカジカの話はその通りです。
★なまはげ
2007/06/29 18:05
☆こねこちゃんへ
 歴史は大好きで、この公園も何度も訪れています。日本史にも残る大きな戦いが地元にあるんですものついつい深く調べたくなってしまいます。
★なまはげ
2007/06/29 18:08
あれぇ??
それはお恥ずかしい>山内一豊…
それって少なくとも東北の話じゃないですよねえ?
なんで地元の話として伝わっているのでしょうか??
コマチ
2007/07/02 11:06
☆コマチさんへ
 同じような状況で別々の行動をしていますから、ごっちゃになってしまったのでしょうね。普通の人間だったら何をされてもすぐ引き抜いてもらいたいと思うよ。
★なまはげ
2007/07/02 18:33

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
平安の風わたる公園 ★なまはげの独り言/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる