★なまはげの独り言

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zoom RSS 赤い靴履いてた女の子

<<   作成日時 : 2007/01/11 14:52   >>

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野口雨情の童謡に「赤い靴」というのがあります。

 赤い靴 はいてた 女の子
     異人さんに つれられて 行っちゃった

   横浜の 埠頭(はとば)から 船に乗って
     異人さんに つれられて 行っちゃった

   今では 青い目に なっちゃって
     異人さんの お国に ゐるんだらう

   赤い靴 見るたび 考へる
     異人さんに 逢ふたび 考へる 
 

画像
この歌に唄われている女の子は北海道からアメリカの牧師さんに引き取られ、
牧師さんが帰国の際に一緒に横浜まで来たのですが、
結核にかかってしまい、3年間の養生の甲斐なく僅か9歳で他界してしまい、
とうとう渡米することがかないませんでした。


この歌詞は、渡米したと思い込んでいた生みの母の気持ちを
野口雨情が詩にした、物悲しいお話です。



秋田にはこの赤い靴の歌詞そのままの人生を送った女性がいました。

画像

明治20年11月14日、
金子ハツは秋田女囚監倉で生まれました。
息も絶え絶えの赤子を引き取ってミルクを与えたのが、
若い宣教師 ミス カラー ハリソンでした。

6歳になったハツを学校(現秋田市立明徳小学校)で学ばせたく、
ハリソンは教え子の川井運吉に相談しました。
運吉は結婚前でしたが、
分家してハツを養女にして学校に通わせることになりました。


ハツが12歳になったとき、
ハリソンは帰国しなければならなくなったのです。
ハツを一人残してゆくのにしのびず、
ハツを連れて横浜から船でアメリカに帰国しました。

後にロサンゼルスの大学を卒業しましたが、
日本バッシングの嵐の中、就職もままならず、
ハツ(米国名コラ)の将来を案じたハリソンは
日系人の多いハワイへ移住し、共に教師として暮らしました。

ハツは34歳の春、胸の病で亡くなってしまいました。
        
        かっては苦悩にうちひしがれし
             異邦人なれど
                  いまぞわが故郷に辿り着きぬ


死を覚悟したハツが残した詩の一節です。

その後もハリソンはハワイに残り、
日系人のよき師、よき相談者となって74歳の生涯を全うしました。
二人ともホノルルのスアヌ墓地に眠っています。


旧明徳小学校(現 市立図書館明徳館)跡地に、
上の写真のように、お二人の像が建てられています。

信仰と人間愛を貫き通したハリソン先生のお顔は晴れやかで、
ハツの顔も安堵感漂うものになっています。





んだば







  

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コメント(19件)

内 容 ニックネーム/日時
「赤い靴」の歌にはこんな話があったんですね・・
歌も2番までしか知りませんでした^^;
さくら
2007/01/11 16:53
泣かせるお話ですね。
明徳小のいまの児童たちにも語り継がれているのかな。ちょっと、心配になりました。
むうさん
URL
2007/01/11 17:13
なんとも もの悲しい曲調が印象的ですよね
子供の頃は♪い〜じんさんに・・の
い〜じんさんて何だろ、、(??)って
ずっと疑問でした
ハツさんもさぞや故郷へ帰りたかったので
しょう
死してしか・・
辿り着けなかったハツさんの想いが
伝わる詩ですね☆
璃里
2007/01/11 17:35
赤い靴
横浜、山下公園にも、
歌碑があったような気が、、、
猫姫少佐現品限り
URL
2007/01/11 20:20
 こんばんは☆こねこです♪

 以前に何かのTV番組で赤い靴の女の子の哀しい物語を紹介していて、地元神奈川の横浜が舞台になってるだけに考えさせられましたが、秋田にも同じような方がいたんですね・・・。

 今と違って、外国に行くというのは祖国へ戻れない覚悟だったんでしょうね。だからこそ懸命に生きたんでしょうね。

 ねこでした。ニャン☆
こねこ
URL
2007/01/11 20:25
そうですか。この歌には,そんな哀話があったんですか。改めて口ずさむと,しばらく前に進めませんでした。
そして「青い眼の人形」も思い出しています。
閑 客
2007/01/11 20:30
こんばんは♪
子どもの頃は 赤い靴の意味もよく解らず歌ってましたが 歌詞の意味を知って悲しくなったのを覚えています。横浜の赤い靴ばかりが有名で 秋田にもこんな悲しいお話があったんですね。でも 海を渡れなかった女の子より ハリソン婦人に守られながら生涯を終えたハツさんは 幸せだったと思いたいmoonです。
moon
2007/01/11 20:35
赤い靴のうたの作詞秘話(?)を聞かせていただきありがとうございます。
しんみりしてしまいました。
昭和初期の歌人たちの心意気に敬服です。
Tatehiko
URL
2007/01/11 21:25
☆さくらさんへ
 子供の頃は歌詞に込められている意味など知るよしもなく、ただただ夢中で唄ったものでしたね。私もこの歌詞の物語を知ったのが横浜を訪れた時でした。秋田の話を知ったのはごく最近です。
★なまはげ
2007/01/11 22:14
☆むうさんへ
 実は私もこの明徳小学校の卒業生です。私がいた頃にはこの話は一度も聴いたことがありませんでした。今の小学生はどうでしょうか?是非覚えていてもらいたいお話です。
★なまはげ
2007/01/11 22:17
☆璃里さんへ
 そうそう、私なんか「いい爺さん」だとばかり思っていました(笑)。そうですねえ、離れれば離れるほどこ恋しくなるのが故郷ですものね。さぞ帰って来たかったでしょうね。
★なまはげ
2007/01/11 22:21
☆猫姫さんへ
 上の写真は横浜の「赤い靴」記念碑です。私も横浜を訪ねて、「赤い靴」の悲話を知りました。そのときは秋田にもこんな話があったとは夢にも思いませんでしたが・・・。。
★なまはげ
2007/01/11 22:24
☆こねこちゃんへ
 遠く日本に来られる方も、日本から旅立つ方もそれなりの覚悟が必要だったと思います。今、我々が思うような気楽な旅行ではなかったでしょうね。
★なまはげ
2007/01/11 22:28
☆閑客さんへ
 「青い目の人形」も実は秋田が関係していたはずです。いつか記事にして見ましょうね。私が初めて金子ハツの話を聞いた時、恥ずかしいですが涙を流してしまいました。生い立ちからして、悲劇のヒロインですものね。
★なまはげ
2007/01/11 22:34
☆moonさんへ
 北海道の女の子よりは、ハツは幸せだったでしょうね。やさしいハリソン先生にずっとついていてもらえたのですから。今度いつかハワイに旅することがあったら、お二人のお墓参りをしてみたくなりました。
★なまはげ
2007/01/11 22:38
☆Tatehikoさんへ
 このお話が今の世に伝わっているのも、野口雨情の作詞があればこそですものね。童謡に秘められたこんな哀しい出来事があったなんて、・・・雨情に感謝しなければ!
★なまはげ
2007/01/11 22:42
『赤い靴』は私も横浜の山下公園で
見ていますが,詳しい話までは知りませんでした。そして,秋田にもこのような話があったとは^^;一度,見に行ってきますね。
空色
2007/01/12 19:14
☆空色さんへ
 明徳館は千秋公園の入り口、県民会館の前にあります。是非一度見に行って下さい。
★なまはげ
2007/01/12 21:31
赤い靴に深い深い母親の悲しみが刻まれていたんでしょうね。私にも気持ち分かります。
らん
2008/03/30 20:11

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