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<<   作成日時 : 2007/01/28 13:03   >>

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尾去沢鉱山で有名だった鹿角市尾去沢


尾去沢鉱山の発見は、奈良時代の和銅元年(708年)と伝えられています。
もう1300年も前のお話ですね。
産金は奈良東大寺の大仏鋳造に使われていますし、
平安末期の平泉の黄金文化に大いに貢献し、
金色堂も尾去沢の金が使われました。

鉱山発見にまつわる民話なども数多く残っていて、
その全てが荒唐無稽な作り話と決め付けることは出来ないと言われています。


和銅元年と言えば、
皆さんご存知のように、日本最初の貨幣「和銅開放(和同開珎)」が作られた年です。
当時の日本には銅の有力な産出地が無く、
中国から輸入して鋳造せざるを得ませんでした。
天皇の命令によって、全国各地で鉱山の発見に奔走したそうです。
その中で、ここ尾去沢に銅があることが見つかり、
その後に繋がって来たのでした。

尾去沢鉱山は日本の歴史の中でも、
最も古くから存在していた鉱山であったし、
その歴史を閉じた後の鉱山テーマパークとしての集客事業としても
その後の全国各地の鉱山跡地利用の先駆けともなったところです。

画像

産出された鉱石は、金・銀・銅など多種にわたり、
日本の経済発展に大いに貢献して来ました。

平安時代には金山として隆盛を極め、
金掘り工だけでも3800人が住んでいたそうです。
山間の僻地の場所にゴールドラッシュの時代があったとは・・・
そしてそれはおよそ一世紀近くも続いたそうです。

画像

江戸時代になると銅山としての成長を遂げます。
幕府からの厳しい割り当てで鉱山経営は南部藩の財政を苦しめました。
しかし、産出量は伊予の別子(愛媛)、秋田の阿仁と並んで
全国の産銅を三分するに達しています。
※江戸時代までは鹿角地方は南部藩領に属していました。


近代になり、鉱山の鉱業権は南部藩商人から
数人を経て三菱財閥の手に渡ります。
その後閉山までの90年間は三菱による近代化の歴史でした。

画像
尾去沢の町には人が溢れ、
この山奥の町だけで12000人が住んでいたそうです。

電話も東京−横浜、大阪−神戸に次いで
明治26年に全国3番目に普及しました。
ちなみに県都の秋田市に電話が通じたのが明治40年と言いますから
どんなに早かったのかが判ると思います。

さらに明治29年には、町内全戸に電気が通りました。
一つの区域の全戸に電気が通ったと言うのは、全国初の出来事でした。
それだけ鉱山は先進事業で、景気も良かったのでしょう。

その後の日清日露の戦争から、
第一次・第二次世界大戦へと軍事色が強まり、
軍需物資としての銅の需要が急増し
生産も飛躍的に増大していきました。


戦後の一時的停滞はあったものの、
産業復興と共に再び活気を取り戻し、生産量も復活しました。

しかし、世界的な銅価格の低迷と資源の枯渇には勝てず、
昭和53年(1978年)5月に閉山に追い込まれてしまいました。



明日は、鉱山の発見に関わる民話を一つご紹介します。
明後日には、閉山後観光施設として生まれ変わり
現在に至る尾去沢を紹介したいと思っています。



そちらのお話もお楽しみにしていてください。






んだば







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コメント(18件)

内 容 ニックネーム/日時
聞いたことはありますが、どんなところかとか、そういうことはまったく知りませんでした。
歴史で出てきたかも・・・・定かではない(恥)。

出直してきます(苦笑)。
love-jack
URL
2007/01/28 18:01
☆loveちゃんへ
 いやいや、歴史のことなんて秋田県人の私でさえ先日まで知りませんでしたから・・・・!おそらく県外の方には、尾去沢の位置さえはっきりとしないのかもね!!
★なまはげ
2007/01/28 18:22
行ったことあります!!
暗い狭い怖いの大好き!
猫姫少佐現品限り
URL
2007/01/28 18:55
私もloveちゃんと一緒に 出直し組ですね・・・

歴史も 授業中に好い加減にしか聞いてなかったというのがばれます。

ここで おさらいして 二度目の日本史の勉強しなくっちゃ!!
+あい
2007/01/28 19:05
「和銅開放」は『和同開珎(わどうかいちん)』ではありませんか。俗に和同開珎を「わどうかいほう」とも読んでいますが,ワードも「わどうかいちん」で本字を示してくれるはずです。
なお,読み終わったら,このコメントを削除してくださいー,なんかスパイ大作戦みたい…。
閑 客
2007/01/28 20:39
☆猫姫さんへ
 マインランド尾去沢に行ったことがあるんですね。面白かったでしょう!!そこのお話は明後日にするつもりです。お楽しみにね!!
★なまはげ
2007/01/28 20:45
☆+あいさんへ
 歴史のお話はやはり興味がないと頭には入らないものです。このお話さえも私は最近知ったばかりです。
★なまはげ
2007/01/28 20:47
☆閑客さんへ
 ご指摘ありがとうございます。記事にするときに「和銅開放」か「和同開珎」のどちらにするか迷っていたのです。私が小学生時分には「和銅開放」と習いました。その後「和同開珎」と変わっていたのは知っていましたが、と当時習った通りの書き方をしていました。今では「和同開珎」と書いて「かいほう」「かいちん」二つの読ませ方があるようですね。勉強になりました、ありがとうございます。
貴重なコメントを削除なんかしませんよ!!
★なまはげ
2007/01/28 21:01
 こんばんは☆こねこです♪

 昔は日本でも金銀が採れてたそうですが、いつからなくなってしまったんでしょうね??
 
 元々資源の少ない日本ではやはり採りすぎだったんでしょうか・・・。

 白黒の写真に歴史を感じます(笑)。
 
 ねこでした。ニャン☆
こねこ
URL
2007/01/28 21:18
☆こねこちゃんへ
 一部のまだ操業している鉱山(たとえば小坂鉱山など)では、今も金銀は少しですが採掘されています。鹿角の山にはまだ鉱脈も残っていますが採掘するコストがかかってしまい、そのまま眠っているそうです。ねこちゃん、掘ってみる?
★なまはげ
2007/01/28 21:32
いろい難しい問題はありそうですけど、
産業遺産として後世に残してほしいですね。
むうさん
URL
2007/01/28 22:33
☆むうさんへ
 全くその通りですね。例えは悪いかもしれませんが、夕張のように行政係に依存した箱物主義で何もかも無くしては欲しくないですね。産業を正しく伝えていって欲しいと願っています。
★なまはげ
2007/01/28 23:55
明日も〜また=来まあ〜す!!
ヾ(*^▽^*)〃
かすみ草^^
2007/01/29 01:12
☆かすみ草さんへ
 お待ちしていますよ!!
★なまはげ
2007/01/29 07:05
今でも佐渡では一般人にも砂金の取りの体験ができるそうです。
一攫千金には程遠いか・・・
さくら
2007/01/29 09:37
箒木蓬生さんという方の、国銅という小説を思い出しました。
あれはたしか西のほうのお話でしたが
東北の尾去沢からも、遠路はるばる大仏建立に携わった方々がいらしたのかもしれませんね。
私もマインランド行った事あります。
寒くて暗くて面白かったです…
コマチ
2007/01/29 12:13
☆さくらさんへ
 佐渡も有名な金山でしたね。じっくりと時間が掛けられれば砂金を集めて一儲けするんですが、残念ながら貧乏暇無しなもので・・・!
★なまはげ
2007/01/29 15:57
☆コマチさんへ
 その小説、今度図書館に行ったら探してみますね、読んでみたくなりました。マインランドは何度か行きましたが、そのたびに新しい発見が出来て楽しいところです。少し暖かくなったらもう一度行ってみようと思っています。マインランドのお話は明日の晩にアップします。
★なまはげ
2007/01/29 16:01

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