★なまはげの独り言

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zoom RSS 八郎潟干拓

<<   作成日時 : 2007/01/25 16:43   >>

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かつて、琵琶湖に次ぐ広さを誇った八郎潟。

大昔は男鹿は島だったのが、地殻変動で陸続きとなり、
海水と淡水が混じる半かん湖として取り残された格好になったのが
この八郎潟でした。

古くからうたせ船による漁業、冬の間は氷下(こおりした)漁業
といった風景が八郎潟の風物詩となっていて、
70種以上の魚介類が住む豊富な漁場だったそうです。

画像
画像

干拓前の八郎潟

      干拓後の八郎潟





戦中戦後の食糧難の時代を経て、
国も県も米作面積の増大を図り、
推し進められた計画でした。

日本では、九州の有明海や中国地方の児島湾の
浅い海面の干拓が行われていました。
が、それらは地続きの陸地から堤防を押し出して
区切った部分の排水干拓する方法でした。

八郎潟の干拓は、
干拓地全体が海抜零メートル以下の
全く前例の無い試みが施されました。
画像


昭和32年、八郎潟干拓事業がスタートしたのです。
画像
干拓予定地の周囲を堤防で囲み、
中の部分の水を抜き、
かつての肥沃なヘドロの湖底を水田に変えていくものでした。

工事は難航を極め、
数十台の重機がヘドロの中に埋没したと聞いています。

海面下干拓の先進地オランダからも多くの技術者が訪れ、
技術指導にあたったそうです。

湖の約4分の3の1万4785haが陸地に変わり、
残りの4743haを残存湖として現在に至っています。

華々しい計画の下に進められ、
干拓事業は20年かかって完了したのです。


が、その後の食料を取り巻く事情は国の方向転換により
大きく様変わりし、
八郎潟周辺の事情も一変してしまいました。

そこらへんの事情や、現在までの八郎潟周辺の変貌など
また明日にお話したいと思います。


美味しいもののお話も用意しています。
お楽しみに




んだば




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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
 こんばんは☆こねこです♪

 せっかくの大事業も年数がかかるといろいろな問題が出てきますね・・・。

 おいしいものも紹介していただけるんですか?私はご飯と味噌汁・・・そして、お父さんのおいしそうに食べる笑顔があれば十分です///////。

 ねこでした。ニャン☆
こねこ
URL
2007/01/25 19:33
こんばんは♪
懐かしい〜〜〜!! 社会科の教科書で この写真見ましたよ〜! 図の説明もなんとなく覚えています(*^_^*) こんな広い海(?)が 田んぼになっちゃうなんて 人間のやる事はすごいな〜って思ってました。遠くまでひたすら稲穂稲穂稲穂…って写真も見た覚えがありますが 今はそんな風景も見られないんでしょうね(T_T)

明日のおいしいもののお話 楽しみにしていますね♪
moon
2007/01/25 22:24
☆こねこちゃんへ
 食糧難に対応した農地造りが完成したときには米余りの時代になってしまっていたと言う、泣くに泣けない悔しい結果になってしまいました。
しかしこの八郎潟には、皆さんに自慢できる「美味しいもの」があるんですよ。明日はそのお話になりますから楽しみにしていてくださいね。
★なまはげ
2007/01/25 23:36
☆moonさんへ
 社会科では習っているんですよね。私が小学生の頃は、実際に工事が行われている時代でしたから、授業で習ったと言うよりはニュースで見聞きしていた程度でした。完成後の干拓地(大潟村)に行った時にはあまりの大きさに肝を潰しましたよ。
★なまはげ
2007/01/25 23:40
こないだ、奥羽線で八郎湖の脇を通りながら、
湖がある様子を想像してみました。
国の大規模事業だから、マスコミも含めて当時は誰も反対できなかったのでしょうけど、残っていたらと考えてしまいます。
むうさん
URL
2007/01/26 00:05
☆むうさんへ
 残念ながら私が子供の頃はすでに干拓事業は始まっていて、昔の八郎潟の姿を知りません。写真などを見ますと、広大な湖面に「うたせ船」などが浮かび男鹿半島や、森吉山などがよく展望できた景勝の良いところだったと聞いています。この事業が日本のためのプラスになると説得されて、泣く泣く別の生活を強いられた人たちも少なくないそうです。
★なまはげ
2007/01/26 10:25
学校の遠足で行って、干拓の話を聞いた覚えがかすかにあります。

今はもう、田んぼだけでは暮らしていけないですものね。

菜の花畑があるのって、八郎潟でしたっけ?
りんご
2007/01/26 14:17
あ、そうか、、、
それで干拓なんですね。
初めて知りました、、、あはは、、
猫姫少佐現品限り
URL
2007/01/26 15:34
☆りんごさんへ
 大潟村は田んぼも減反になり、かぼちゃやメロンなどの畑にたくさん変わってしまいました。それぞれの産物をいかに価値を高めながら販売していくのか、大きな課題が突きつけられています。
★なまはげ
2007/01/26 19:54
☆猫姫さんへ
 「干して拓く」から干拓なんですよ。干すだけでも数年かかってしまったようですが・・・。。
★なまはげ
2007/01/26 19:55

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